2012年3月8日木曜日

ニュース考察:河村たかし市長の発言の心根が本当の問題





河村たかし名古屋市長の発言をめぐり、日中友好の交流に支障が出ています。発言の正否はともかく波紋を起こして、両国関係者に迷惑をかけていることをまず認め、謝罪すべきと思います。
そんなに殺せるはずはないとか、大虐殺が何人であったかどうかを検証すること自体もナンセンスではないかと思います。たとえ一人の命でも地球よりも重いのです。お隣の国の人々の感情をたった一言で平気で傷つけて、謝りもしない河村市長の心根自体が大虐殺するのと同じくらいひどいものであるし、そのような心がいつか戦争を引き起こす原因となると私は思います。
第二次世界大戦、日本軍の6割~7割は中国人と戦っていました。日本の主な侵攻の目的は、中国を支配下において燃料などエネルギー資源を得ることです。中国側はどうでしたでしょうか。日本を支配下に置くためではなく、自国を守るための抵抗、すなわち坑日です。この戦争において、攻撃と守り(抵抗)とがはっきりしていたのです。侵略と侵略ではないのです。日本側に言わせれば西欧列強と戦うための自衛の戦争だというかもしれません。でも、その理由で中国を攻めるとしたら、被害を受けるのは隣国です。南京の中国人はなんの被害も受けていないのでしょうか。たとえ、一人でも殺したとしたら、大変なことであると知るべきです。加害者側である以上は、いいわけは通用しないでしょう。しかも、日本は敗戦したのです。負けていながら謝らないというふてぶてしい態度はいかがなものでしょう。賠償を請求されているわけでもないのです。寛大な中国に対して速やかに謝罪して日中関係の良好な関係を修復していただきたいものです。「公人」と「私人」の発言の責任の違いが分かっていないようです。名古屋市を代表する立場であることを肝に銘じるべきです。どちらの国家にとっても、「公人」の無責任な発言で混乱するのは非常に迷惑な話です。河村市長の発言後、中国・南京で3月2日に予定されていたロサンゼルス五輪金メダリストの山下泰裕氏らを招いた柔道の国際交流や式典が中止になりました。また名古屋を拠点とするアイドルグループ「SKE48」の公演を目玉に、9日から南京市で開催予定だった日中共催の文化イベント「南京ジャパンウイーク」が延期になるなど、日中関係に様々な影響が出ているそうです。
減税推進で庶民の味方として名を上げたのはいいことですが、今回ばかりは河村市長の大きな失言であり、名を下げることになり誠に残念です。
(投稿文:高山) 

中国大使館が河村氏の面会を拒否、中国ネット上で喝采の声

サーチナ 3月7日(水)11時44分配信
名古屋の河村たかし市長の南京大虐殺を否定する発言をめぐり、中国の程永華大使は河村たかし市長との面会を拒否する意向を伝えた。中国メディアの環球時報が6日、同ニュースを報じると、記事には中国人ネットユーザーから喝采のコメントが殺到した。

南京大虐殺を否定する発言について、中国大使館側は「撤回しない限り、面会はできない」と伝えたが、河村市長は「発言は政府見解とほぼ同じ」との認識を示した。

中国大使館側の対応について、中国人ネットユーザーの大部分は中国大使館の決断を支持するものだった。あるユーザーは「われわれは日本が南京大虐殺の歴史を否定することを許してはならない。中国大使館が河村氏を拒絶したことを中国国民は擁護し支持する。日本製品をボイコットし、日本へ旅行に行くことをやめよう」と主張した。

また、別のユーザーは「河村市長が圧力を受けて、わざとらしく自分の間違いを認めたとしても絶対に許してはならない。彼は骨の髄まで間違った認識を持っているからだ」と非難した。

また河村市長の「政府見解とほぼ同じ」と述べた発言を受けて、あるユーザーは「日本政府も否定しているのかをはっきり問うべきだ」と述べ、また別のユーザーも「日本人はそんなことを言って恥ずかしくはないのか」と訴えた。(編集担当:及川源十郎)

以下、河村市長には、素晴らしい中国の人のブログを読んで頭を冷やしていただきたいと思います。

サーチチャイナより

【中国ブログ】南京人の告白、「私は日本人を恨んでいない」




大虐殺が起きたと言われる南京市。その南京市に住む中国人ブロガー气定神仙氏が「私は日本人を恨んでいない」とする文章を自らのブログに発表した。彼によると「恨むべきは日本人ではなく、戦争である」としている。以下は、その要約。

一人の南京人として日本人を恨むかと言えば、私はその資格を有する人間であろう。しかし、私は日本人を恨んではいないし、そうしたいとも思わない。私が日本人を恨めば、私はきっと自分自身をも恨むようになってしまうのではないだろうか。私はなぜ自分が日本人を恨んでいないのか、考えてみた。
まずは「宣伝」に対する反抗心理に基づくものである。南京大虐殺記念館で公開されている写真を見れば、遺恨の念をはじめとする様々な感情を抱くことは禁じえない。しかし、これらの感情は日本に対してではなく、戦争に対する感情であり、悲劇はあくまでも戦争が作り出したものだと感じるのだ。
中国国内における「宣伝」は目的をほぼ達成したといえるだろう。多くの中国人は骨髄に達すほどに日本人を恨んでいながらも、戦争そのものを恨むことはない。そればかりか彼らは戦争を好んでいるようにも見え、戦争が勃発することで日本人や台湾人、米国人、ひいては自分と意見を異とする同胞ですら殺そうと期待しているようにすら感じるのである。
私が日本を恨んでいないもう一つの原因は、率直に言えば私は日本の文化が好きだからに他ならない。多くの中国人が日本の漫画を愛読しているのではないだろうか?私の場合は漫画ではなく、日本の文学が好きなのだが、私は川端康成の「伊豆の踊り子」や「雪国」を読んだこともあるし、村上春樹の作品も大好きである。また、私が好きな中国人作家の郁達夫も日本文学の影響を受けているのだ。
もちろん私も日本文化には変態的で抑圧された面が存在することを知っている。はじめは驚き、嫌悪感も抱いたが、それだけで日本人の国民性を否定したり、攻撃したりはしない。なぜなら完全無欠な民族など存在しないからである。それに私は日本のアダルトビデオも好きだし、仮に極端な愛国主義者であっても日本のアダルトビデオの誘惑を拒絶することは難しいのではないだろうか?
最後に私が日本を恨んでいない三つ目の原因である。南京大虐殺は戦争が人を変えたからこそ起きた事件であり、中国人も被害者であるが日本人も被害者なのだ。血で血を洗い、日本を討伐すると騒ぎ立てるネットユーザーたちも戦争が勃発すれば同じように人間性を喪失するだろう。少なくとも、彼らが口に出している言葉を聞けば、彼らはすでに暴虐の極地に達していることを否定することは出来ない。
本当に同胞を愛し、本当の良識と正義感を持ち、本当に世の中の平穏を願うのであれば、恨むべきは政府であって日本人ではないはずである。過去、大躍進で死亡した3755万人の同胞を含め、戦争の無い平和な時代に数千万人もの中国人が自らの同胞に殺されていながらも、後悔や反省は未だに見られない。事実を追求するための努力ですら闇に葬られているのだ。
2009年、村上春樹がエルサレム文学賞を受賞した。彼が受賞の際に行ったスピーチにおいて、「我々は皆、多かれ少なかれ、卵である。我々は各々が壊れやすい殻の中に入った個性的な心を持っている。そして我々は、程度の差こそあれ、システムという名の高く、堅固な壁に直面している。システムは我々を守る存在として認識されているが、時に我々を抹殺し、さらに私たちに他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺させる」と語った。
ここで少しでも良いから考えてみて欲しい。我々が持っているのは独特で生き生きとした心であり、体制ではない。体制から搾取されるようなことがあってはならないのである。なぜなら体制が我々を作ったのではなく、我々が体制を作ったのだから。(編集担当:畠山栄)
以上中国人ブロガー气定神仙氏のブログ要約でした。
日本のアダルトビデオの誘惑云々はこちらとしては恥ずかしい話ですが、ここに中国人の良心、本音をうかがえて温かい気持ちになれました。                          
 (高山)