2012年2月22日水曜日

報道:「南京大虐殺」をめぐる名古屋市の河村市長の発言

中国共産党南京市委員会の劉志偉常務委員(左)との会談後、
贈り物を交換する河村たかし名古屋市長=20日午前、名古屋市役所

交流停止、1面で報道 中国、当局が批判容認か 対日感情の悪化に


22日付の中国紙、新京報と京華時報は1面トップで、旧日本軍による「南京大虐殺」をめぐる名古屋市の河村たかし市長の発言を受け、江蘇省南京市が姉妹都市提携を結んでいる名古屋市との交流を当面中止すると発表したことを報じた。河村氏が発言したのは20日で、翌21日は抑制的に報道していた。当局が批判的な報道を容認したとみられ、対日感情の悪化につながりそうだ。
新京報は1面以外にも2ページにわたる特集記事を掲載し、河村氏の発言内容や発言後の南京市の対応、河村氏の人物像などを詳しく報道。社説でも取り上げて「史実を否定して“友好都市”を語れるか」と批判した。新京報の記事は河村氏のほかに「侵略の歴史を美化する右翼人物」として、東京都の石原慎太郎知事らをあげた。(共同)

以上産経ニュースより転載しました。
虐殺があったかなかったかは、今のわれわれとしては知りえないことなので、過去にさかのぼりお互いに検証していきましょう、ということで対応しておけばよいのに、たった一言で友好に水を差し、波紋を呼んでしまった河村市長。まずは、早急に不用意な発言を訂正したほうがよいと思います。これに関しては、日中友好に協力いただいている企業の社長さんより、事実その方の父親が虐殺に加わった史実を話され反省していたということを私も前に聞いておりますので、まったくなかったとは言えません。社長様も、そのお父様も今はこの世にいません。死人に口なしです。日本も中国も、どんどん史実を語れる方が今後も死去していくので分からなくなってしまいます。これを機会に、生き証人の方に史実を書き残していただきたいものです。ただし、人を殺しましたとは、おおっぴらにはいえないので何らかの匿名性も必要ですが、、、。非常にデリケートな話題なだけに、発言には要注意です。一度私も河村市長さんにお会いしていますが、思慮深く温和な方だけに発言の真意が分かりかねます。
(高山)

ちなみに中国側からのニュースも下記に転載いたします。


専門家:河村市長発言は日本右翼に迎合するための可能性も



 南京市が「名古屋市との行政当局間交流の停止」を発表したことについて、日本を専門とする楊伯江・国際関係学院教授は「日本の個別の政客の南京大虐殺否定問題に対する、近年最も強硬な抗議の動きだ」と指摘した。新京報が伝えた。

 楊教授は「河村氏の発言が市民感情を傷つけたことを受けて、南京市政府がこのような決定をしたことは、外交慣例にも沿っている。また、行政当局間交流を一時停止すると発表しただけであり、今後の両都市間の交流再開に余地を残している。河村氏が発言について謝罪または多少譲歩する、あるいは市長が交代すれば、行政当局間交流も続々と再開されるだろう」と指摘。さらに、中国国内のネット上の声も南京市の最終的な決定を後押ししたとの見方を示した。

 中日歴史共同研究委員会の委員を務める王新生・北京大学教授(史学部)は「日本の政客として中国側代表団と面会した際に南京大虐殺に言及したうえ、中国側の感情を顧みずこれを否定した河村氏の行動は、明らかに時宜にそぐわない」と指摘。

 さらに「南京大虐殺は政府レベルの交流では、通常双方共に避けている問題だ。犠牲者の具体的人数について、ずっと見解が一致しないからだ。現在、政界も学界も民間も、日本人の大部分はすでに南京大虐殺の存在を認めている。少数の人と右翼団体が否定し続けているだけだ。政界でも本流の政客は南京大虐殺を否定しない姿勢をとっている」としたうえで、「河村氏の発言が日本の右翼団体に迎合するために必要だった可能性も排除できない」と分析した。

 河村氏が南京大虐殺否定発言を行った際に、中国側が強い対応をとるべきだったかどうかについては「公的な場で日本側がこうした発言をすることは南京人民を始め中国人民の感情を傷つけるものであり、中国側は対応をとるべきだ。だが対応の加減は現場の状況を見て決めるべきだ。中日双方ともに、これが原因で中日関係の大局に影響が生じることは望んでいないのだから」と指摘した。(編集NA)

 「人民網日本語版」2012年2月22日より転載でした。

日本政府の見解は、以下サーチナより転載します。



南京事件への政府認識 村山談話から変化なし


藤村修官房長官は南京大虐殺について、22日、政府の認識として1995年8月15日に当時の村山富市総理が戦後50年の節目にあたって発表した「村山談話以来、政府の姿勢は何も変わっていない」と南京事件を含めそうした事実のあったことを政府として認めるとともに、反省をし、戦争は二度と繰り返さず平和国家としての道を歩んでいく決意であるとの認識を示した。
  河村たかし名古屋市長が名古屋市を訪問した姉妹都市提携先の中国・江蘇省南京市政府代表団と会談の際に「南京事件はなかったのではないか」と発言したことから、南京市が行政当局との交流を当面中止する措置をとるとしたことに対し、政府としての認識と対応を記者団から聞かれて答えた。
  藤村官房長官は「名古屋市と南京市との間で適切に解決されていくべき問題」とし、姉妹都市という関係からも、両市レベルでの関係修復を見守る姿勢をみせた。
  政府として現在も見解を同じくしているという村山談話では「わが国は遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」とし「私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます」と南京大虐殺などについて間接的な表現ながら、これを反省し、過去の旧日本軍による行為を謝罪した。
(編集担当:福角忠夫)

2012年2月20日月曜日

投稿:[30周年記念訪中団に参加して]伊藤勝善


去る11月3日から7日、松本日中友好協会30周年記念「民間交流のルーツを訪ねて葫芦島・廊坊・天津5日間」の中国旅行に参加しました。
伊那の旅行会社「トラビスジャパン」のお世話になり、まだ暗い4時過ぎ中部国際空港へと出発しました。初日から廊坊市との公式会見の場に臨席させて頂き、つぶさに会見内容を拝聴致しました。このような経験は初めてであり、忘れがたい思い出になりました。2日目の「葫芦島第二実験小学校」の訪問も大変印象深い出来事でした。
先ず驚かされたのは我々が校舎に入るや否や、小学生の低学年と思われるかわいらしく着飾った生徒達が、日本語で「四季の歌」を合唱して出迎えてくれた事でした。
その後、友好校の松本開智小学校との作品の交換などを行い交流行事が執り行われました。この場で私が感じました事は「三つ子の魂百までも」と言われるように、幼い頃毎日必死に練習した日本語の歌は彼らが大人になっても決して忘れることはなく、
時々口ずさみ日中友好の心を育んでくれるという事でした。
反面、翌日訪れた戦後105万人の日本人が引き揚げたと言われる葫芦島の港「平和公園」は道路も舗装されず、雑草が生い茂る状態で、発展を続ける葫芦島市の中にあって、
何か取り残された地区と言ったやるせない気持ちにさせられました。
更に印象に残りましたのは、4日目の朝日曜日にもかかわらず、葫芦島北駅へ葫芦島第二実験小学校の校長先生が見送りに来てくれたことでした。北京では三輪車で「胡同」を巡るオプションが出来、北京市民の日常を垣間見た気がしました。
ただ、「四合院」を訪れて住人と話をする部分がなく、多少物足りない感じがしました。
今回の旅行を通じて感じました事は、一言でいえば、「意義のある旅行」だったと言うことです。今まで何度も中国へは旅行していますが、いずれも旅行会社主催の団体旅行で、名所旧跡の観光、買い物等が主体で、中国の人たちの心に残るものは何もなかったということです。所が、今回の旅行は2回の公式会見、小学校訪問、2回の夕食会と間違いなく中国の人達の心に、我々の訪問の記憶が残ったということです。
今後とも適当な頻度・企画で継続されることは、意義深いことだと思います。
(伊藤勝善)