松本日中友好協会相澤孝夫会長の挨拶があり。新型コロナウイルスの状況下、できることをしっかりと進めていくことを述べられました。
「
こんにちは。本日は総会にお集まり頂きありがとうございます。日頃は、日中友好活動にご参加、ご協力頂きまして有難うございます。 さて、本年は新型コロナウイルス拡大という事で、世界中が未曽有の危機に瀕しております。1月15日に、初めてこの感染症が確認されて以来、松本日中友好協会で主催しておりました恒例の中華人民共和国駐日本国大使館での観桜会も中止となりましたが、様々な友好活動、社会活動が制約を受けています。
また、各種会議も中止になり、最近はウェブ会議が主流になりつつあります。
日頃、顔を見せない方々が気軽に参加出来たり、発言もかえって活発に行われたりと、メリットもあるようで、ただ一か所に集まる形が一番いいという考え方に、囚われていたことに気づくこともでき、いろいろな新しい見直しもされて来ているところであります。今後、人の交流が止まってきていることを、どうしていくかなどもございますが、インターネットの発達した現在は使い分けも大事かと考えております。
ともかく、世界は1930年代の大恐慌を上回る可能性も高く最悪な状況であります。一度落ち込んだ景気は、すぐには元に戻らないでありましょうし、米中貿易摩擦や、各国の自由貿易の縮小、特定の国や地域に依存していたサプライチェーンの毀損などもあり、世界経済の先行きは混とんとした状況です。
このような中で、日中友好活動をどう保っていくか、何をやっていけばよいのかが、今問われています。むしろ大変な時期だからこそ、絆を太くし、何があっても揺るがない環境を作っていくことが、民間交流に求められているのではないかと存じます。ますます日中友好協会が持つ意味合いが大きくなることでありましょう。
昨年より法人団体、企業の皆様に積極的にご参画いただいていますが、このような経済状況を踏まえ、今後も連携と働きかけを強めて参りたいと思います。
昨年、岡山市の日中友好協会から呼ばれて、講演に参り、「医療による日中の交流と松本日中友好協会が何をやっているか」について話しました。
岡山市の日中友好協会も会長が、医療関係者となった御縁もあり、今後国内の日本人同士の交流活動も一緒に共同して進めていきたいところです。 来年度は松本日中友好協会は40周年という佳節を迎えます。これをきっかけに新たな形での友好の在り方を考え、世界平和に寄与して参りたいと存じます。社会の安寧をお祈り申し上げ、皆様のさらなるご支援ご協力をお願いできれば幸いに存じます。
(中国語訳相泽孝夫会长致辞)
大家好。今天十分感谢大家来到这里开会。
感谢大家平日以来参加并致力于日中友好活动。
今年因为新型冠状病毒的感染扩大,世界濒临了前所未有的危机。自从1月15日首例新型冠状病毒感染症患者被确诊以来,松本日中友好协会每年都在中华人民共和国驻日本国大使馆中举办的观樱会也不得不中止,各种各样的友好活动和社会活动也被制约。
以及很多会议也被中止、最近网络会议正在成为主流。
优点是,不露面的人可以自由参与,并可以积极地发表言论。人们通过网络会议也改变了在一个地方聚会才是最佳的观点,不再受限于这种惯性思维。我个人觉得,今后,如何应対人们的交流受限,如何正确地使用网络是非常重要的事情。
现在,世界出现了可能比1930年代的大恐慌更严重的危机。经济一旦不景气很难立刻恢复,并且因为美中贸易摩擦,各国自由贸易的缩小,依赖特定的国家或者地区的供应链的毁坏,世界经济的发展难以看清。
这样的情况中,我们需要思考如何保证日中友好活动的进行,以及我们应该做什么。我认为或许越是困难的时期,越是需要我们更加团结,创造无论发生什么也不会动摇的环境。这才是民间交流的意义所在。因此,日中友好协会的意义会越发重大。
去年开始,法人团体和企业的各位积极的参加了日中友好协会,这样的经济状况下,我个人认为,今后也要加强彼此间的联系和互相鼓励。
去年,我被冈山市的日中友好协会邀请,进行了演讲,关于医疗方面的日中交流以及松本日中友好协会应该作什么进行了发言。
明年是松本日中友好协会建立第40周年。这是一个我们重新思考日中友好存在形式的契机,以便于更好的为世界平和作出贡献。
我们为社会的幸福祈祷,也感谢大家一贯以来的支持与合作。
」
長野県企画振興部国際担当宮原茂部長の来賓挨拶。長野県では、各地で東京オリンピックのホストタウンをしていて、来る北京オリンピック冬季開催に向けて交流を進めている。コロナが落ち着いたら、改めてお願いしたいので、松本でもよろしくお願いいたします、と。
「
本日ここに、松本日中友好協会の定期総会が、臥雲市長をはじめ多くのご来賓のご臨席のもと、盛大に開催されますことに心からお祝い申し上げます。
松本日中友好協会におかれては、来年創立40年と伺っておりますが、この長きにわたり日中両国民の相互理解と友好親善のために様々な事業を展開されておられますこと、相澤会長をはじめ皆様方のご尽力に、心から敬意を表し、感謝を申し上げたいと存じます。
長野県と中国との関係は、1983年に長野県と河北省が友好提携を締結して以来、皆様のご支援のもと、青少年交流、文化・スポーツ交流など幅広い取組を重ねてまいりました。
そのなかでも松本日中友好協会におかれては、歴代の駐日大使を松本に招かれたり、国交正常化40周年記念事業として、駐日中国大使館公邸の庭園に「信濃の一本桜・枝垂桜」を植樹され、毎年4月には観桜会を開催して人と人との交流を重ねられるなど、両国間の信頼関係を深めておられます。
その観桜会も、今年は新型コロナウィルス感染症の影響で開催がかなわなかったと伺っており、大変残念な気持ちがしておりますが、一方でこの間、国家体育総局、駐日大使館等の関係機関からそれぞれ長野県に対して、サージカル・マスクや医療用防護服を寄贈いただきました。
贈られた品物に添えられた言葉からも中国の皆様の温かいお気持ちを感じるとともに、これも松本日中友好協会をはじめとした関係の皆様の、これまでの取組の賜物であると、重ねて御礼を申し上げる次第です。
長野県は、来年の東京オリンピック・パラリンピックにおける中国のホストタウンとなっております。また、その半年先には北京冬季オリンピック・パラリンピックが予定されています。
その関係で、昨年も、北京市トップである蔡奇書記、国家体育総局の苟仲文局長が来県され、阿部知事、髙波県日中友好協会会長をはじめとした訪中団が河北省、北京市を訪問するなど、オリンピックを契機に相互交流を重ねております。
今年度は、新型コロナ感染症の関係で人と人との交流がままならない状況ですが、私ども国際交流課もこの4月の県庁組織改正で、県民文化部から企画振興部へと移り、体制を改めて、国際交流の推進に一層取り組んでまいりたいと思っているところです。
松本日中友好協会の皆様におかれましても、両国の友好親善のため、今後とも変わらぬお力添えを賜りますようお願い申し上げます。
結びに、松本日中友好協会の益々のご発展と、本日ご列席の皆様のご健勝、ご活躍をお祈り申し上げ、お祝いの言葉とさせていただきます。
本日はまことにおめでとうございます。」
臥雲松本市長は、4月より就任して、今まで一会員であったが、これからは市長として、積極的に日中友好に取り組む決意を述べられ、廊坊市友好都市25周年の今年は記念行事をしたかったが中止となって残念である。国家間とは違う民間交流の在り方、再度重みをかみしめていきたい、松本市を挙げて支えていく抱負を語った。
「ご紹介いただきました、松本市長の臥雲
義尚でございます。
これまでは、日中友好協会の会員の1人として、この4年間皆様と活動を共にさせていただきました。そうしたことを踏まえまして、今後は、松本市長として、皆様方が築かれてきた松本日中友好協会の活動を下支えし、後押しし、そうした役割を果たさせていただければというふうに思っております。本年は、ご承知の通り、松本市と中国廊坊市との友好提携25周年という節目の年であります。残念ながら、相互訪問の催しというものは、新型コロナウイルスの関係で、中止ということになっておるわけでありますが、改めて、25年という月日の重みを今日の総会を契機として、しっかりと自らの胸の内にも、刻み込みたいというふうに思っております。
先ほど相澤会長のお話にもございましたけれども、この新型コロナウイルスの問題は、私たちの日常を問い直し、そして国と国との関係や国際交流のあり方というものも、問い直すような大きな動きになっております。人の交流が難しくなる、しかしそのときに、決してこれまで築かれて来た交流の絆が途切れないような、そうした新たな方策、取組みということに一方で目を向ける大きなチャンスでもあるというふうに思っております。
日本と中国の関わりを、今、考えた時に、先程、ご指摘もあった米中の対立や、或いは香港を巡る問題、そうした決して、今、前向きでない動きということも散見されるわけでありますけれども、そうした国家間や政治の動きとは別に、この松本日中友好協会が、人と人との、民間と民間との交流を続けてきた、そしてそのことは、新型コロナウイルスの新たな社会の、世界の動きを、私たちが向き合わなければならない時こそ、より重要性を増しているのではないかというふうに思います。この民間と民間との交流がより重要性を増すということを踏まえて、2020年の松本日中友好協会の取組みということも、相澤会長、西田理事長、そして皆様方と共に、取り組まれていくものと信じております。
是非とも、この新しい友好の形というものも、皆さんに生み出していただけるようご祈念いたしまして、そして、松本市としても、これまで以上に、この協会を支えさせていただくということを約束させていただいて、ごあいさつとさせていただきます。今日はおめでとうございます。ありがとうございました。」
務台俊介衆議院議員、スペインインフルエンザの際には、長野県では、12800人もの人が亡くなった、また大町大地震も同時に起こったと災害の歴史を紹介。草の根の交流活動は大事だが、人道上の問題などあり、香港問題、尖閣諸島の件など言うべきは言っていくことも
真の日中友好のために大事と苦言を呈した。
「松本日中友好協会の総会にあたりご挨拶を申し上げます。コロナ禍で世の中の在り様が問われています。実は長野県においても、感染症の歴史があります。スペイン風邪がパンデミックを起こしたとき、12000人以上の人がなくなったことは、第一次世界大戦やその後の関東大震災に上書きされ長野県民あるいは日本人の記憶からは抜け落ちていたのではないでしょうか。
今回のコロナ禍による社会、世界情勢の変化は避けられませんが、我々がその変化にどのように対応していくかが今後問われることとなります。現にコロナ禍で日中の人的交流が絶たれる一方、各国の感染症対策や政治制度はグローバルに結びつき、他国のものとは静観していられない現実を目の当たりにし、各国政府の思惑が交差することが避けられない世界情勢となっております。
そうしたコロナ禍の中でも、関係者の努力でこうして開かれた総会にあたり、各地の日中友好協会の原点を考えてみますと、戦前の日本の大陸進出の反省を踏まえ、貧しい中国に支援の手を及ぼしたいとの善意の気持ちから生まれた運動だと承知しています。しかしながら、今日の中国は経済発展を果たし、その国際社会における存在感、影響力の増大とともに大国にふさわしい振る舞いを期待されるようになりました。40周年を迎える松本日中友好協会の役割も時代にあわせて変わっていくこととなるかもしれません。
私も日中友好議員連盟の会員であり、度々在日中国大使館を訪問し、大使とも何度か晩さんの機会を頂いています。また昨年は四川省成都市で日中韓議員友好囲碁大会に参加してきました。微力ながら人的交流の実践を行い、中国との末永い友好関係構築を願っている者の一人です。日中関係の今後は、それぞれに互いに交流を深め、あるいは諫言を伝えられる真の友人となるべきとだと考えこれからも活動して参ります。
松本日中友好協会におかれましてもそうした活動を実践し、民間同士の息の長い真の日中友好を実現していくことをご期待申し上げます。」
長野県華僑総会会長王昌勝氏。菅谷さんは、なかなか出席されなかったが、臥雲市長は今日も約束通り来ていただき、期待が持てます、と喜びと、できることを一歩一歩していきましょうと語られた。
「只今、紹介にあずかりました。
長野県華僑総会の王昌勝です。
本日松本日中友好協会定期総会に出席の皆様方は勇気を持って参加された方々だと思います。先程相沢会長の話にありました。コロナウイルスは1月10日中国武漢にて発症しました。わたくしは1月25日松本日中友好協会の新年会にこの話をしましたが後々このように世界的に広がり、多くの死者を出すことになり、現在世界の経済、文化、スポーツなど多くの混乱を起こすことを予想できませんでした。この現状で中国、日本の交流が一切なされなく、このままでは両国の友好に支障をきたすのではないかと心配しております。
最後に1月25日の新年会で市長選前の臥雲氏に市長になられても松本日中友好協会の行事ごとにはぜひ参加していただきたいと話をしましたところご自分から率先して参加したいと約束をされました。このようなお人柄で見事松本市長選に当選され、本日出席されまして、誠に感謝しております。」
長野県日中友好協会布施正幸理事長。長野県内には、9000人の中国人が住んでいる点をあげ、身近な友好活動が大事だと語り、安心して交流していく時代の到来を期待した。全国日中の創立70周年は10月に盛大に中国で行う予定であったが、来年に延期となった。松本は、孔子学堂など語学にも熱心で、中国文化の普及に今後も期待したい、と語られた。
「
松本日中友好協会は相澤会長の指導のもと中国大使館との交流「観桜会」や廊坊市との友好都市交流、中国語講座開講などに取り組み大きな成果を上げてこられました。松本日中友好協会の日ごろのご活躍とご協力に敬意と感謝を申し上げます。
現在新型コロナウイルスの感染拡大によって世界では1250万人余りの人々が感染し、56万人の死者がでております。うち4分の1をアメリカが占め、中国は何とか抑え込み、日本は頑張って拡大を抑えようとしています。米中対立が激化しておりますが、世界的に英知を結集し協力して、ワクチンや治療薬の開発を進めていくことが非常に大切と思います。
本年は日中友好協会創立70周年にあたります。日中関係は、コロナ、香港、尖閣問題などがあって現在厳しい状況となっています。日中友好協会の創立者の内山完造先生(魯迅先生の友人で初代協会理事長)は1956年県日中友好協会が誕生するに先立って長野県に幾度か足を運び協会設立を働きかけました。先生は「中国がたとえどのような国になろうとも、資本主義国になろうとも社会主義国になろうとも、日中両国国民は子々孫々仲良くしていかねばならない」と力説されたそうです。友好協会は思想・信条・政党政派を越えて日中友好の一点で結集するボランティア組織です。14億の人々の住む隣国とは是非とも仲良く付き合っていきたいものです。日本は米中対立が激化する中で主体性をもってバランスの取れた付き合いをし、国益を守り、日中友好を大切にしてアジアと世界の平和繁栄に貢献していくべきと思います。
コロナ禍で交流がストップしていることは大きな打撃ですが、国交正常化前と違って県内には9千人を超える中国籍の方が生活しており、県内企業も440社が中国に進出しています。身近なところに中国は存在し、交流機会はたくさんあります。
前向きなニュースも聞こえてきます。EMS郵便再開、ビジネス分野の交流再開に向けた両国の協議の動き、長野県と大変深い交流のあった程永華前中国大使の中日友好協会常務副会長就任などです。
身近なできることから取り組みを一歩一歩進め、復興の日に備えていきたいと思います。
松本日中友好協会の皆様のご活躍をお祈りし祝辞とさせていただきます。」
大勢の会員の力を発揮して前進していくことを確認し合った総会である。新型コロナに負けない友好活動が望まれる。
新理事長に就任した小原秀元氏。長野県卓球連盟理事長も務めていて、日中友好に長く携わった経験を活かし、盛り上げていきたいと抱負を語られた。この後、議事に入り、全議案が滞りなく可決され、今年度の活動を約しあった。
「
只今、松本日中友好協会の理事長に就任しましたが、その、重責の重さに、
新ためて、身が引き締まる思いであります。
私が、中国との係りをもったのは、今から48年前の1972年・昭和47年に
さかのぼります。
この年の9月27日、田中角栄首相と、周恩来首相が、北京において、日中国交正常化の共同声明がありました。
そして、この年の11月に、国交正常化を記念して、中国の卓球選手団が日本に
派遣されることになり、松本市の旧県営体育館で、中国の選手団28人を迎え、
日中交歓卓球大会が開かれました。
当時、高校3年生だった私は、地元の代表選手として、中国の選手と対戦することが
できました。
試合結果ですが、中国を代表する選手には、まったく歯がたちませんでした。
この大会以降、日中国交正常化を記念して、5年ごとに、北京において、
日中友好都市卓球交歓大会が、開かれています。
この大会に、私は、選手・役員として、5回参加させていただきました。
その中で、1972年に、松本に来た、中国選手と出会い、友好を深めることもできました。
ピンポン外交が叫ばれていた当時、歴史的な、出来事の中に、私も置かれていたと思うと、
胸が熱くなります。
日中国交正常化に奔走した諸先輩方、日中友好卓球大会を初めて開催して下さった
諸先輩方、日中国交正常のために、井戸を掘ってくださった 先人の方々を忘れることなく、
今後の、松本日中友好協会の運営にあたっていきたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
(中国語訳松本日中友好协会 小原秀元理事长就任致辞)
我是松本日中友好协会的新任理事长小原秀元。我感受到了职责的重要性,从今以后更加努力奋进。
我和中国的缘分要追溯到48年前的1972年,也就是昭和47年。那一年的9月27日,田中角栄首相和周恩来首相在北京发表了日中邦交正常化的共同声明。那一年的11月, 为了记念邦交正常化,中国的乒乓球选手团体被派到日本参赛。在松本市的旧县营体育館中, 我们迎接了28人的中国的乒乓球选手团,举办了日中交流乒乓球大会。 当时,高中三年级的我作为松本地区的代表选手和中国的选手进行了比赛。比赛的结果是,被中国选手完全地击败了。 这次大会以后,为了纪念日中邦交正常化,每5年就在北京举行一次日中友好都市乒乓球大会。我作为比赛选手和役员,一同参加了5次大会。
其中,在1972年,我遇到来到松本的中国选手,并加深了友好关系。当时这被叫做乒乓外交。我也有幸参与到这样的历史大事之中,每逢想到这里,我就内心火热。我们不会忘却为了日中邦交正常化努力的各位先辈, 初次举行日中交流乒乓球大会的各位先辈、挖下日中邦交正常化的深井的先辈。今后、我们会更好地办好松本日中友好协会。
今后也请大家多多关照。」