2011年9月7日水曜日

中国大使館に訪問交流してきました





中華人民共和国駐日本国大使館に交流訪問してきました。



農業と工業によって発展するという国章。

7階立て。2階以上は、一般の方は入れません。
常時大使館には100名くらい外交官がいて、家族を含めると200人くらいになるそうです。

玄関で、 程永華  駐日大使を囲んで記念撮影。

短い時間でしたが、貴重なお話をいただきました。

大使館の方々は、日本語が皆流暢なので、通訳が要りません。

張成慶参事官を囲んで。
阿部守一長野県知事 ・菅谷昭松本市長  の親書をお渡しします。

程永華駐日本国大使直筆の色紙をいただきました。程永華駐日本国大使。
複雑化する日中関係改善への対応が迫られています。
程氏は日中30年前国交正常化して、まだどこの大学も中国人の留学生を受け入れなかった時代、創価大学に第1期留学生として留学した卒業生です。それが故に、日本語にも堪能な知日派として知られています。
程氏は当時創価大学の寮に入寮することになったのですが、
寮には関西圏出身の生徒が多かったといいます。
池田名誉会長は寮関係者に、「関西弁」をなるべく使用しないようにと指示したそうです。
関西弁の駐日大使になられても面白かったのですが、大人材を丁寧に育てられる細かな配慮と将来への達観が、今の程氏を支えているということです。
創価大学に留学後、1977年在日本大使館勤務されました。2000年本省に戻りアジア局副局長。2003年駐日公使、2006年駐マレーシア大使を経て、2008年駐韓国大使。日本語に堪能で、1977年を皮切りに、2000年まで三度に渡り、在日大使館勤務を経験した日本専門家です。2009年12月、次期駐日大使に内定、翌2010年(平成22年)2月28日に着任し、同年3月23日に皇居宮殿で信任状捧呈式が行われました。2010年12月18日、長崎県の原子爆弾落下中心地碑に献花をされています。

大使館では、辛亥革命100周年記念写真展が開かれていました。
辛亥革命(しんがいかくめい)は、1911年(宣統3年)から1912年(民国元年)にかけて、中国で発生した革命。
清朝が打倒されて古代より続いた君主制が廃止され、共和制国家である中華民国が樹立されています。
勃発日の10月10日に因んで、「双十革命」「ダブル・テン(Double Ten)」とも称されます。

上海万博の中国館。

いろいろな写真で、中国の100年を振り返ります。
昼食交流懇談会を中国大使館で行い、中国料理をいただきました。
張成慶参事官のご挨拶。

松本日中友好協会相沢会長による乾杯の挨拶。

カンペイ! は日本では最初だけですが、中国では宴席で何度も乾杯します。

西田理事長の挨拶。

また合える日を楽しみに。右は元公明党県議会議員牛山好子さん。
創価学会池田名誉会長が1968年9月8日 第十一回創価学会学生部総会における講演で、中華人民共和国の正式承認と日中国交正常化、中国の国連加盟などを提言した際に、会場の日大講堂で実際のスピーチを聞かれたそうです。
当時は、戦後23年経ったにも関わらず、日本と中国は国交を断絶したままでした。一部の政治家や経済人が国交を希望しておりましたが、公に言うことをはばかるような両国の状況でした。また、70年安保の目前で、学生達のエネルギーが爆発しつつある時代でした。この内外に大きな波紋を呼んだ「日中国交正常化提言」をきっかけとして、公明党が政治レベルで橋がけし、日本政府を動かし、1972年(昭和47年)に日中平和友好条約が締結されたのです。

散会、見えなくなるまで見送っていただき有難うございます。