2011年12月8日木曜日

投稿:辛亥革命100周年 梅屋庄吉と孫文

日比谷松本楼創業者・小坂梅吉と姻戚関係にあり、現在の常務取締役である小坂文乃の曾祖父梅屋庄吉氏(日活の創始者)のことを書いた本『革命をプロデュースした日本人』(小坂文乃)が辛亥革命100周年の今年話題となっています。 昨年の上海万博の日本館でこの歴史エピソードが展示紹介されていて日中友好の絆を結んだ貴重な人物ということが分かっています。

現在のお金でいえば1兆円を孫文の革命に資金援助したと言われています。梅屋庄吉が金銭だけでなく、思想的にも孫文の励ましになっていたともいわれています。また、頭山満、犬養毅、山田純三郎、宮崎滔天らアジア主義者らと集い、フィリピンの独立運動にも関与しています。日本が頑張らなければ、アジアはすべからく未だに西洋の植民地でいたかもしれませんね。


川島浪速が芳子に語っていた言葉に、「中国人は砂のような民族で水で練ってもなかなか一つにまとまらない、これをまとめるには日本人の思想が入らなければならぬ」というような要旨のことがありました。

孫文だけでなく、周恩来にも共通して日本での留学体験が人生の大きな転機になっていますし、毛沢東は日本の歌詞

「雀は歌い 鶯は踊る 春の緑の野は美しい ざくろの花は紅にそまり 柳は青葉にみち 新しい絵巻になる」

に、日本の美を知り、日本の誇りと力を感じ、日露戦争に勝ち欧米白人のアジア支配を打破したことを聞いて喜んだといいます。

この日本人の思想の中に、人と人ををまとめる力、ヒントを中国の指導者たちは得たのだと思います。

孫文の死後、梅屋庄吉は4つの孫文の銅像を広州、黄甫、南京、マカオに建立しました。銅像は文化大革命期に撤去される危機に見舞われたましたが、周恩来の尽力で守られています。

(投稿:高山)